思い出を語る

（１）
　故角川源義氏創立事務所（千代田区）の近辺で私は生まれ育ちました。
　創立当時の事務所で夏、Ｙシャツ姿で一生懸命、本を束ねている姿が未だに 目に浮かびます。
　私は、俳句界・短歌界は、おほほの世界で、特別の方がおやりになると思っ ておりました。
　私の子供、雅彦、美佳が俳句、短歌、川柳に首を突っ込んだことは、その当 時ではとても考えられないことです。いま源義氏が天国でこのお話を聞いて、青 天の霹靂（へきれき）だと思います。
　未熟な私たちに、俳句、短歌のこれからの進み方やご意見をお聞きしたかっ た。
　私のお話も、聞いていただきたかった。
　いま、生きていらっしゃたらどんなにか心強いかわかりません。本当に残念 です。

（２）
　故源義氏、当時は電車通勤のため近所の方と会うことが、多かったです。
書店の社長さんというより、学者（大学教授）という風貌でした。
部下思いの温かい人柄だと思います。私の父は（その当時の男の方は誰でもが 、がむしゃらに働いたように）仕事一筋の頑固な人でした。
源義氏はソフトで、何か深く物を見つめているような雰囲気に、モダンで、文 学好きの母は憧れを持っていたようです。（母も亡くなりましたので、書いてし まいますが、）社長さんとお話しているときの、母の顔は乙女の恥じらいを見せ ているようでした。
当時を思うと、とても感無量になります。天国にいる源義氏と母はいま何を語 っているのでしょうか。

（３）
　角川源義元社長と私の母とどうしてもだぶってしまい思い出すのが辛く少し 間を空けてしまいました。
私の近所、九段と富士見が戦争でほとんどの家が焼かれました。
運良く私の家は残りました。当時隣組の組長を父がしておりました。
その当時隣組の連携プレーはすごいものがあったと思います。
我が家の後ろまで火が燃え移りましたが隣組の方達によって父の組は全員家が 焼けずに済みました。
父は戦闘帽を被り、国民服を着、ゲートルを巻き、メガホンを持ち指示を与え るため叫びまくったので、しばらくの間、声も出ず目を開けることができなくな ってしまいました。
ＮＨＫ２０世紀の映像にその当時の消火活動している父と隣組の方達の姿を私 の姉がテレビで見て電話がありました、
残念ながら私は見ることができませんでしたが、思わず涙が流れてしまいまし た。
小学校に兵隊さんが駐屯しており、九段上の現在武道館のあるところに近衛師 団があり靖国神社の近所なので狙われたのだと思います。
いまは華やかなネオンが輝きその当時の面影は全然ありませんが、神楽坂も全 焼しました。私は幼かったのですが、神楽坂が火の海になりすごい炎をただ呆然 と見ていた記憶があります。その当時の映像記録を撮り保存していたＮＨＫのス タッフの方に頭が下がる思いです。
戦争は二度とやってはいけないということを記録映画で訴えることの素晴らし さに感動を覚えます。
　戦争が終わり段々と世の中も落ち着き角川書店さんも俳優のＩさんの跡地に 第一番目のビルを建てました。
Ｉさんの実家は父親が都会議員でした、また、何軒も家をお持ちだったので焼 け残った家の方に引っ越ししました。

（４）
　戦後まもなくのお話ですが、近所の方と助け合って東京の真ん中でも焼け跡 に野菜作りを始めました。いまの角川書店さんの近い場所です。（麦、茄子、胡 瓜、トマト、インゲンなど栽培）味の良し悪しは分かりませんでしたが、当時は 口の中に入るものは全て美味しく感じました。当時子供でしたが父母と良く畑に 行ってトマトやインゲンなど取ったり草むしりなど手伝いました。いまの角川書 店さんの前地主俳優（Ｉさん）の焼け跡地をお借りして、父母とこの場所で麦打 ちをしました。偶然（Ｉさん）が自転車で立ち寄りました。（Ｉさん）はその当 時のことを記憶にあるかどうか分かりませんが、近所では美少年で売り出し中の 方なので有名でした。背の高い均整のとれた知的な少年に私も子供心になにか胸 を突かれたようで声を失っておりました。いまもNHKの時代劇にときたま出演な さっており、その当時の光景を思い出し懐かしく見ております。

（５）
　角川歴彦社長さんには、私は千代田区に住んでいた時には一度もお会いした ことはございませんでした。
　「メディア最前線講座マス・オーディエンスの変容」―雑誌・書籍を見る目―ア ークカレッジで角川歴彦先生の講演を子供二人雅彦・美佳が講習を受けにまいりました。
　私も友達が西麻布におりますので用事かたがた帰りがけに寄りお顔とお言葉 をわずかながら聞くことが出来ました。お父様にそっくりなお顔とお声にびっく りしなぜか涙が出そうになってしまいました。
　故源義氏元社長さんのことは子供たちにお話ししてありました。巡り合わせ とは不思議なもので、天国にいらっしゃるお父様もきっと満足し応援しているよ うに思われました。長時間の講演でお疲れになったこととは思いますが大変勉強 になり参考になる書もいただきまして、ありがとうございました。お忙しいとは 思いますがこれからも機会がございましたら是非又講演をお願いしたく思ってお ります。

（６）
　角川書店元社長角川春樹氏
本当に残念です。お父様（故源義氏）が生きていらっしゃったらこんな事は無かった気がします。済んでしまったことは取り返しが付かないことですが、角川書店さんの社員はじめ角川文庫のファンも沢山いるということを忘れないでください。天国にいらっしゃるお父様も見守っております。お身体に十分気を付けて希望を持って頑張ってください。
　源義氏思い出すと言うことは私は父母も同時に思い出します。その当時の地元の人たちはみんな仲が良かったしまた会社の社長さん達とも溶け合い今みたいに自家用車で来て秘書がやってしまうのとは違って温かい雰囲気があった町でした。源義氏が颯爽と大股で歩いていく姿は良く見かけましたし、地元の人たちとは挨拶を交わしておりました。
　千代田区富士見の角川さんの横にある急な坂道は冬になると凍ってしまうので子供たちが上から滑り台のようにして遊びました。私もその中の一人です。坂の横に洋館建ての外人が住んでいた家があり家の周りは蔦が生い茂り異国的で神秘的な感じでした。坂を上がりきって元宮様邸の道は母と犬の散歩でよく歩いた道です。思い出は途轍もなく広がりきりがありません。父母を忘れることができないように私は偉大なる元社長角川源義氏を同時に忘れることができません。

（続く）